デモでもtwitterでも、素人が何か意見をするときは、その意見の正当性や、具体的な実行可能性なんて重要じゃないんだよ。素人が無い知識を総動員してて、自分達の願望や政府に望むことを形にしたという事実と、その輪郭が重要なんだよ。
人よりもリスキーな人生を歩もうと思っているなら、日頃から他人の事を大切にしたほうがいいよ。本当にダメージを負ってしまったいざというときに、彼らがネットのようにダメージを吸収してくれる。それも、強いということだ。
一般論として、アメリカの経営者のほうが相当謙虚。アメリカでは成功すると付き合うレイヤーが上がり、いくら成功してもさらに上の人に「甘い、もっと成長しろ」と言われ続ける。一方、日本では上のレイヤーがかなり薄く、そもそも怒られる機会がないため、謙虚でいるのが難しい。
若者に残されたのは、海外に目をむけないと日本経済はにっちもさっちも行かないという状況にもかかわらず、海外で活躍できる会社もなければ海外に行くお金もないという現実。そこで「内向きだねーキミ」とか言われたら怒ると思うのだが。
今の若者は若いときから自己責任論と甘えるなという思想を押し付けられ、不況と理不尽の中で育ったから、生き残れずに脱落した人も多いけど、生き残った人の中にはかなり優秀な人もいると思う。
「世の中には努力できる人と、努力できない人がいる」というのはそうかもね。でも、そうだとしても、本当に大切な目標があるのに努力できないなら、努力するためにどうやって習慣を変えるかを悩むしかないよ。才能だ、遺伝だといって人生あきらめたらもったいない。
機会があったらやってみたい、という言葉をよく聞く。しかし、機会は偶然訪れるものではなく、引き寄せるものである。そのためには目指さなければならず、目指した者の前に機会はいつかひょこっと現れる。目指さず機会を待つのは出さない手紙の返事を待つのに等しい。
貨幣がこんなに人々の心を惹きつけ、実態が何もないにも関わらずこれほど頑強にその価値を維持しているのは、それがモノやサービスと交換できるというだけでなく、それが人間の価値を計る世界共通の唯一のモノサシとして使われているからだろう。
仕事内容そのものを人生の目的にできている人って世の中そんなに多くないしそれだけが価値じゃない。それでも仕事馬鹿の中には夢とか志とか響きだけ良くしてそれを強要する人がいる。傲慢かつ迷惑。
『身の程を知る』はとことん自分にあったことを考え抜くということだ。自分の性格、能力、人生。ブランドや面子ではなく、本当に幸せになる為に何が必要で何が向いているのか子供時代の原点から再考することだ。僕は京都に来る前に『幸せになれ、それだけが僕からの課題だよ』と恩師に言われた。
2011年4月5日火曜日
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